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ぐるっとZAOは、東北の名峰・蔵王連峰に接する宮城県と山形県の6市町から、蔵王の情報を発信するサイトです。 

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蔵王について

蔵王連峰
 蔵王山は山形・宮城の両県にまたがる奥羽山脈にあって、北は雁戸山から南は不忘山に至る25kmに及ぶ連峰であり、蔵王山という固有の嶺はない。
 主峰熊野岳(標高1,841m)から刈田岳(標高1,758m) を結ぶ馬ノ背以北を北蔵王といい、杉ヶ峰・屏風岳・不忘山など南部に位置するところは南蔵王という。
 一般に夏の蔵王登山というのは、この北蔵王に属する火口湖“御釜”を眺望する熊野岳から刈田岳をかけることで、雲や霧の動きに反応して、刻々五色に変化する“お釜”の水の色は、神秘で美しい。

御 釜
 北蔵王にある五つの爆裂火口の一つが御釜である。日に何度も色を変えることから五色沼とも呼ばれ、1182年(寿永元年)の噴火で火口ができ、1820年(文政3年)の鳴動で水が溜まり始めたといわれている。

登山とみどころ
 蔵王の登山口は、山形・宮城両県側から蔵王エコーラインの自動車登山もあるが、主峰熊野岳への登山は、蔵王温泉からのコースが最も整備されている。特に温泉から地蔵岳中腹まで、3,500mのロープウェイを利用すれば、熊野岳までの徒歩は約1時間の距離である。
 ロープウェイの山頂駅は、地蔵岳と三宝荒神岳の鞍部にあって、付近一帯にはシャクナゲ・ミネザクラ・サラサドウタン・ハイマツなどの灌木のほか、イワカガミ・コケモモ・ミヤマキンポウゲ・ムシトリスミレ・ハクサンオオバコなどの高山植物が群生している。

 このお花畑の一角に大きな地蔵尊が鎮座し、登山者のためにはまたとない道しるべとなっている。またこの辺一帯は、冬季間、妖精さながらの“樹氷”で飾られる山岳スキーのメッカでもある。
 地蔵山(1,736m)から三宝荒神にかけて、標高1,500mあたりまでの山腹にある針葉樹アオモリトドマツに、氷雪が堅くつきまとい美しい樹氷林を縫いながら滑降する爽快味はことにすばらしい。




蔵王の信仰
 古代の人たちは、天変地異はすべて神のしわざであり、しかも神は大自然の中に宿っているということから、峻険な嶺が畏敬尊崇の対象となり、鳥海山、月山などと共に蔵王山も位階勲等を授けられるほど尊ばれた。ただ、古くは刈田嶺神といわれていたもので、蔵王山と称するようになったのは七世紀以後のことであるようだ。
 蔵王地蔵尊にまつわる古文書のある三乗院は、蔵王山宝沢口にあって、松尾院の半郷口、安楽院の中川口(上山)よりも古くから栄えたようである。三乗院の門前に掲示されている説明によれば、役の行者小角(すづぬ)が、吉野金峰山(きんぶせん)において、一千日の苦行と修練のすえ感得したのが金剛蔵王権現で、朱鳥4年(690)3月小角57歳の時、出羽国羽黒に来り近峰を遍歴、4月8日当地刈田嶺に勧請した。以来刈田嶺を蔵王山と称したと伝えられている。
 また、この三乗院には、蔵王山信仰を象徴する巨大な蔵王権現の像がある。いい伝えによれば、役の行者が刈田嶺で勧請をしていた当時、宝沢に井上太郎大夫という農夫がいて、子なく天に祈っていた。その妻が一夜、一僧胎中に入る夢を見て、朱鳥8年(694)10月18日男子を生んだという。乙鶴と名づけた。この乙鶴が長じて、才徳人にすぐれ、和銅5年(712)19歳の春3月に山伏となり、名を覚山と改め、諸国の名山霊地を巡り修行を重ね、吉野金峰山に至り蔵王権現を拝した。霊夢に蔵王の霊山があることを知り、その山の中興を志して帰国、登山の道路を開き、信者の利便をはかった。天平年中に3年続きの早魃があって、覚山は国主の請に応じて祈祷し、雨を降らせて五穀を実らせたという。やがて、蔵王山麓にあたるこの地に社を建立し、万福山と号し、蔵王大権現を創始した。別当三乗院にある権現像は、高さ3.64m、三眼青黒色の忿怒神で、右手は三鈷杵を振りあげ、左手は腰にあて剣印をあらわしている。左足を盤石に踏まえ、右足を高くけりあげ、魔障降伏の相をしている。
 三乗院の入口に鳥居がある。これは、先年宝沢街道の道路整備に際して、坊原の三差路にあったものを移したもので、蔵王山宝沢口の一の鳥居である。

-- 蔵王地蔵尊保存会発行「蔵王地蔵尊第Ⅰ集」より --








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